李登輝首相をしのんで
李登輝総統が亡くなられたとの記事を読んで、細かくはそういう人だったのかと調べたこともなかったことに気がついた。
思い出したのは弟の赴任先の台北を訪れたときに、「大陸からミサイルが飛んでくると噂されているけど、辛亥革命70周年の記念パレードの予行演習を見ることができるので一緒に行こう。」と誘われたときのことだ。
厳重なバリケードの検問を通って、ベストプレースのひな壇席からパレードを見ることに。
沢山の部隊が装備品をつけてのパレードした。
記憶に残っているのはトラックの上のゴムボートでパドルを持ち水中メガネとシュノーケルをつけて自動小銃を方にかけた部隊とか、
僕らの日常と違うと感じたのは化学戦部隊だ。今考えると毒ガス防疫部隊だったのかもしれないけど、そのときは攻撃側の部隊と思って恐怖を感じた。
一番の華は、野戦のポシェットを肩からさげた看護婦(女性ばかりでした)の部隊だった。
弟と大声で楽しんでいたら、背広を着た男性が横の席に来て、僕にタバコを勧めて話しかけてきた。
僕も不自然な感を抱いたのだが、弟は彼が離れたあとで「大丈夫だったか?彼は秘密警察だ。」と心配する。 本当の話です。
何年か前まで、台湾は海水浴も防備のために許されていなかったと聞きました。
李登輝総統も国民党だったので、ミサイルが飛んでくるというのは大陸反抗の勢いを削ぐために大陸中国が仕掛けたプロパガンダだと当時は思ったのだけど、
その時から本省人による民主化を恐れていたのですね。
何年か前の日本への墓参りを中国が妨害しようとしたとかの件も、靖国神社に祀られてる兄のことだったのですね。
台北駐日経済文化処主催の"ComputexTaipei"視察ツアーに参加した時に、事務所の人が本当は大使館なのだけど・・。と複雑は説明をしたのも思い出しました。
李登輝氏の遺志が引き継がれることを願っています。
訃報の新聞記事をEvernoteに保存しました。
ご冥福をお祈りします。