脊椎管狭窄手術 13 9/11から9/21

脊椎管狭窄手術

9/11(金)午前中に、執刀医がベッドに来て、切って開いて洗浄しましょうと言う。
僕もこのまま一進一退では精神力も体力も尽きてしまうので、「はい。お願いします。」ということに。

9/12(土)手術のチームに空きができたとかで、手術日が早まり、背中をもう一度切開して洗浄する手術を行った。
ほぼ1ヶ月前にうけた麻酔から始まる手術で、すぐ何もわからなくなるので特に不安はありません。
ワイフも1F の手術室ドアの前に待機しているが、前回のように5時間待ちではなく1〜2時間の手術。

9/13〜
前回のようにメタルを埋め込んだわけではないので、手術後も苦しいけど順調。
抗生物質の点滴を受けつつ日々を過ごす。
背中の2本のパイプからの排出体液が思ったほど減らない。

9/16(水) 夕刻、背中のパイプ2本のうち出血がほとんどなくなった上の1本を抜いた。
そのおりに医師に聞くと金曜日に出血が無くなっていれば抜いて、土曜日の退院も可能と言う。
血液の炎症反応は少なくなっているとのこと。
点滴も明日までで、飲み薬に変える予定とのこと。

思いもかけないことで、期待したい。
後で考えたら、来週の月、火曜日は祭日なので、土曜日退院を逃すと、来週の水曜日検診、木曜日退院が最短となる。

9/17 AM5:00 パイプからの排出血液 38ml(50ml以下になるとほぼパイプは抜く)
金曜日に残ったパイプも抜くと思う。

硬膜外下パイプからの出血
9/11 67ml 9/12 61ml 9/13 58ml 9/14 47ml
9/15 46ml 9/16 33ml
下のパイプからの排出量は、昨夕刻にパイプを抜いたときにタンクを回収されてしまったのでわからない。
都度、合計の量を聞いたときには合計で120とか130mlとか言われていたので、そこそこの量が背中の中で出血していたのだろう。

血圧 120 75 体温36.6度
今日から抗生物質の点滴は1日2回に減らす指示があったとのこと。 土曜退院は既成コースか?

9/18(金) 36.6度 血圧 109 75 パイプからの排出血液 69ml 色は薄く体液が多く混じっているように見える。
採血をした。炎症反応はどうだろうか?

昨日は最悪の体調だった。数値は悪くないのだが、今日、土曜日に退院できるかどうか?の決定が出るので、僕の感情が体調に作用していたのだろうか?

どうも連休前の退院はなくなったようだ。
パイプもそのまま。

手術跡の糸をカットして抜いた。
手術の時は溶ける糸だったが、溶ける糸だと細菌の住処になるので今回はやめたとのこと。
やれやれ、こんなことでも医師側が手術室での感染を想定していなかったことがわかる。

明日はワイフの誕生日なのに退院できていなくて残念です😥。

今夜から背中に分厚いガーゼのカバーがあるけど、上向きで寝れるようになった。
これで目が覚めてしまうまで2~3時間は眠れます。
横向きで別途の柵につかまって寝ているときは、せいぜい1時間半で起きていたので、すっきりした気分になる。

パーキンソンの人は夜中にも時々、叫び声の連呼をするので起こされてしまう。
かわいそうだと思う。

9/19(土)パイプから抜いた血液52ml 。

薄いりんごジュースにピンクを混ぜたような色をしている。
パイプを抜くのだろうか?
今日はシャワーの日なので、パイプを抜けば浴びられるのだが。

今日は体を拭くだけ。シャーワーは前回の3週間の術後2回と退院して家で1回の通算3回だけ。
髪は伸び放題。

9/20 (日)パイプから抜いた血液は、前日と同じ52ml  (・・;
09:30 体温37,2度 血圧 105 65

う~ん。なかなかうまくいかない。
昨夜息苦しい症状が出たので朝食後分のカロナール3錠をのまなかったせいか?

毎度カロナールを飲んで、熱を下げた状態の時に体温をはかりに来るのは、おかしいとは思うけど・・・。

とりあえず、朝食後1.5時間ぐらいたっているのでビスケット2枚を食べて、パンシロンとともにカロナールを服用する。 とにかく、胃を温存することが大切だ。
パンシロンは僕が持ち込んだ薬。なかなか消化剤はもらえません。

連休なので次回の医師の検診は水曜日。よくなることを期待しよう。

ベッドの上でテレビをつけたら、NHKで震災証言記録番組、原発事故の時の東北サファリパークの番組をやっていた。2011年当時を追った番組だった。1,000頭もの動物たちを守った人たちの番組だった。"可愛そうな象"の話を知っているので思わず引き込まれてしまった。歳を取ると涙もろくなる。

運転できるようになったら、ぜは東北サファリパークを訪ねてみよう。

9/20(日)思いもかけず朝食後に1時間ほど寝てしまった。前回の入院も含めて、昼間寝ることができたのはこのときだけ。

今日は日曜日なのだからか、気がついたら部屋に音楽が流れている。
天空の星ラピュタだ。
思わず歌詞が心に浮かぶ。「父さんが残した熱い思い。母さんが残したその眼差し。」
僕の人生は、どうだったんだろうと感傷の世界に踏み込んでしまった。

僕が入院中なので一人で生活しているワイフとは、13年前に海外に行ったときに結婚した。39才の年齢差だ。

僕が死んでから長く生きるであろう妻の視野を広げるために、乏しい資金の中で2~3年おきに海外旅行に連れて行っている。
あいだの年には里帰りの旅行。

以前に現地で購入した土地を転売して、僕の入院中に中古家付きの土地を購入・リフォームを行っている。

昨年は農地とバラックを購入して、ワイフの家族は現地で野菜、チキン、羊などを飼う健康的な生活をおくっている。これで家族は自分の家と農地で安定した生活をおくれるだろう。

大卒後に総合商社に入社して、やめたあとも貿易の仕事をしていたので、他国のことは理解していると思う。

開発途上国の女性と結婚するということは、その貧しい家族の生活も支えることになるのはもとより承知だが、毎月の仕送りも考えると相当な金額になる。

人は妻が外国人で年齢差もあるので奇異の目で見るのだが、本当はとても真面目な夫婦なのだ。
僕が英語を話せて、妻は経験なカトリック信者なのが幸いしてコミュニケーションも齟齬なく、不思議に大きな喧嘩もなく過ごしてきている。

ワイフには日本で長く過ごす事ができるように介護職のライセンスを取得させたので、この10年間病院の正職員として働いている。大変な仕事だが、ワイフは生きがいを持って働いている。

僕は海外は多くの国を訪れている。ハワイに初めて行ったのは1972年。1ドル360円の時代。
スペインはフランコ総統が生きている頃から何度か旅行していが、ほかにも僕自身が行きたい国もある。
今度の手術で歩けるようになってチャレンジできるといいね。

ワイフとの旅行は、僕にとってはメモリーレーンの旅。妻にとっては驚きと発見の旅だ。

最初は香港マカオ。次はベトナム。台湾。ドイツ・オーストリア・イタリア。
特にイタリアとバチカンを訪れるのはワイフの夢だったので大層喜んだ。

去年はタイ。今年はイギリス・フランスの予定だったがコロナでだめになった。

突然の手術と入院で、体内に菌が残った状態では、今後の生活はいかなる展開を見せるのだろうか?と病床で考えてしまう。

静かな日曜日の病床で精神的には穏やかで、この日記も病床で書いている。
だが、体調はいまだ良くない。

9/21(月 敬老の日) 不思議だ。背中のパイプからの血液体液の排出量が減らない。

9/11 67ml 9/12 61ml 9/13 58ml
9/14 47ml 9/15 46ml 9/16 33ml
9/17 69ml 9/18 52ml 9/19 52ml
9/20 53ml

ポリタンクにたまるのは、血液とか髄液(ずいえき)らしいです。
そうなら、もっと減らないとだめかもね。
大まかに言って50mlより少なくなるとパイプを抜くようだ。9/16に16ml程度だった上の方のパイプを抜いているので、その分下のパイプまで降りてきているのだろうか?

今年の夏は、かき氷もアイスクリームも味あわずに過ぎていってしまった。

今日は連休のなか日でとても静か。空気入れ替えに窓も空いているので、爽やかな風。

Posted by cooltokyo