Audi TT rodestarとお別れ
アウディTTロードスターはオートマミッションの変速ショックが尋常でない状態になり、とうとう2速固定。
修理にはコーディングの関係もあってかなりの高額で、ディラーでは80から100万とかの載せ替えとか。
修理の進展を数ヶ月待ったのだが、乗り換えることに決めた。
ミッション以外はすこぶる快適な車で、この年式でもか?
さすがはドイツ車の感を強くしていたので、残念だった。
ドイツ車の経験は大学3年のときにボロボロのVWタイプ1を購入して、自宅近くの修理工場・東洋自動車(マツダではない)で、「無料で働くから、働きがてらVWの修理をしてもいいか?」と頼み込んで修理工場でバイトをした事がある。
「ミッションアクスルシャフトドラム付き」を環八沿いにあった解体やで5,000円で購入して取り付け修理をした。
東名高速はまだ無く、環八は瀬田の先でダートになっていてその先は行き止まり?だった。
短い間だったが、この自動車工場で、整備の技術を少しは学ぶことができた。
工具を元の定位置に戻すなど。当たり前のことも・・・
。
ある時、助けてくださいと飛び込んできた人がいて、昼休みだったので僕が行ってみると、コロナが線路上に止まっている。
当時のMT車のコラムシフトは引っかかって動かなくなる事があったことを知っていたので、ボンネットを開けて引っかかりを解消して踏切内から脱出させることができた。
MT車は踏切内でシフトチェンジは禁物だったのだが、運転していた人は知らなかったらしい。
今ほど過密ダイヤではなかったので、まだ平面交差だった東横線の電車は走ってこなかったのは幸いだった。
今は、高架になっている。
当時の日本ではオートマ車は極めて稀で、あっても流体2速。ローとトップしかなかった。
ちなみに、僕が大学を卒業して0000機械部に就職して担当した仕事の一つがアイシンワーナーの工場建設だった。
工場は窓の少ない建屋がスカイブルーに塗られた大きな建屋で、いかにもアメリカン。
この工場から日本初の3速のオートマミッションが生産されることになる。
この後もミッションには携わって、大阪にあるバランサーマシンの工場にミッションのバランサーの受け取り試運転に行った時の話。
着いてみると、「準備ができていないので休んでいてくれ。とトルコ風呂に案内された。
わわわあ。
もちろん何事もなかったが、短時間でワイシャツのクリーニングもしてくれたのには驚いた。
戻ってみるとまだ工場の人が集まって、うまくバランスがとれないという。
原因はオイルの温度のせいで偏るのではというので、驚いたことには、溶接機の火をミッションに当ててオイル温度をあげた。 定かには覚えていないがバランス測定は成功した事になった。今でも、見てはいけないものを見に来てしまったような気がする。
大阪では色々驚かされる事があった。
機械の見本市会場に来て、昼休みで外て食事をしたときのこと。
後ろにあったスロットマシンで遊んでいた人が「わーっ」と大声で喜んでいる。
見高速の入り口ではゲートに入ろう車にと並んでいる車に、ダフ屋が回数券を破った券を定価で売りつけに来ているし、不思議な街だった。
閑話休題になったが、TTは残念だった。
ロードスターを買う前に検討したロムチューンしたMTのアウディTTを購入していればミッションの問題はなかっただろうと、思いを馳せた。
乗っていての安心感はアルファの経験とはかけ離れたもので、ブラウンの電気カミソリのような安定感があったし、小柄な車体はライトウエイトが好きな僕の車趣味にあっていたと思う。みると7が揃って大量に出てきているのはコインではなくて100円玉の山だ。
恐ろしい。普通のカウンター食堂だったのだが・・。